心が健康だからこそ社畜ができるのだろうか
久しぶりに父に会った。
普段はLINEで連絡を取っている。それもたまに、連絡事項をやりとりする程度なのであまり日常会話はしない。
父と話すのは少し緊張する。私は父と長い間一緒に暮らして来なかった。(離婚ではないが家庭の事情で別居していた。)母にはべったりだが、父と話しときは少し遠慮してしまう。だからといって仲が悪いわけではない。ただどう話したらいいか分からないというか、本音をあまり出せないだけだ。
正月に父と話す機会があった。私はほぼ自分の話はしなかった。仕事を辞めた話も、自分が病気が再発してつらいことも言わなかった。話をずっと聞いていると頭がぼーっとしてきて体がつらくなってきていたがそれも言えなかった。ひたすら相槌を打っていた。
父の話の内容はほぼ仕事の話だった。負っている責任のこと、仕事の内容、専門的なこと、世の中のこと。私は今仕事をしていないから父の話の内容は新鮮で興味深かった。しかし明らかにブラックだった。残業時間も長い。休日出勤もある。それでも「管理職だから」と職を全うしている。「きつい」とは言っていたが「自分の会社はブラックだ」などとは口にしなかった。娘の手前プライドもあったのだろうか。
時間的拘束もあり、責任を負うプレッシャーもあり、ストレスは半端なかったはずだ。だが父は僅かな休日に資格の勉強をし、忘年会の出し物の練習もしたそうだ。
私と父が過ごしている24時間が同じものに思えなかった。
寝床に入ってから考えを巡らせていた。
私が布団やこたつで苦しみながらじっとしている24時間。
父が仕事や勉強に費やす24時間。
こんなにも多くのことをこなしながら吸収しながら、様々な経験をして、稼いでだお金で私は養ってもらっているのか。
聞いているだけで、押しつぶされそうな生活なのになぜ父はやり遂げられているのだろか。不思議に思った。
それはやはり、身体も、心も健康だからだろうか。
健康だったら残業をして休日出勤しても平気なのだろうか。
平気じゃない人もいるだろう?何が違うんだろう。日本には社畜がいっぱいいるのになぜみんな「つらいつらい」といいながら会社に行き続けるんだろう?
うつ病にならない人は何が違うんだろう。
基礎体力とメンタルの強さだろうか。
メンタルの強さとはつらいことに対する感じ方の違いと受け流し方だろう。
メンタルはどうやったら鍛えられるのか
考え方を変えることは容易いことではない。
1日1日の積み重ねで、実践して、修正して、一つの考え方の癖を直すのに3カ月はかかるそうだ。
一朝一夕でできることではない。
つらいことをいっぱいいっぱいに感じて受け止めていつまでも悲しんでしまう。
できるだろうか、私にも。つらいことを受け流す考え方を。
年初めから憂鬱になりながら布団の中で目を閉じた。