りなぶろ!

双極性障害や甲状腺機能低下症、その他書きたいことを気ままに書いてます。

人格形成に影響を与えた本「ごんぎつね」

理奈子です。

 

「人格形成に影響を与えた本についてレポートを書くという課題が出た」と大学生が話しているのを聞いて、それじゃ私もいっちょ書いたろかと対抗心を燃やして書いてみました。

 

「ごんぎつね」が本当に私の人格形成に影響を与えたかは微妙なところであり、単に書きやそうから選びました。

ジョークと捉えてお読みください。

 

 

 

 

 

この物語は村に住む茂平の伝聞という形式で描写されている。

 

親狐を失った子狐のごんは村へやってきては悪戯をして村人を困らせていた。ある日ごんは村に住む男・兵十が川で捕ったウナギを逃がすという悪戯をする。このいたずらっ子さんめ!その後、兵十の母親の葬列をごんは目撃する。あのとき逃がしたウナギは兵十が病気の母親に食べさせようと捕ったものであると悟り、ごんは後悔する。

 

ウナギを逃がした償いをしようとごんはイワシ屋からイワシを盗み、兵十の家に投げ込む。翌日、イワシ泥棒と間違われた兵十がイワシ屋に殴られたことを知り、ごんは反省する。かえって迷惑をかけてしまったごんは自分の力で償いをするぜ!と意気込み、自力で栗や松茸を毎日兵十の家に届ける。私の家にも届けてくれよ。しかし兵十はごんのやったこととは知らず、神様が家に栗や松茸を届けてくれているのだと思い込む。ごんはまじしょんぼりやで。

 

 

その翌日、ごんが家に忍び込んだ気配に気づいた兵十は、またいたずらをしにきたのだと思い込み、ごんを火縄銃で撃ってしまう。兵十は土間に栗が固めて置いてあるのに気づき、そこではじめて栗や松茸がごんの詫びの品であったことを理解する。

 

 

「ごん、おまえだったのか。いつも、栗をくれたのは。」というあまりにも有名なセリフを兵十が問いかけると、ごんは目を閉じたまま頷く。これを書いている私の涙腺はここで崩壊する。兵十の手から火縄銃が落ち、筒口から煙が立ち上る場面でこの物語は幕を閉じる。

 

 

 

 

この物語は小学校の国語の教科書に掲載されているので、誰もが読んだことのあるお話であろう。小学4年生の学習発表会ではこの「ごんぎつね」を題材に発表会をした。目を閉じれば「ごんごんごーん♪ごんごんごん♪」のメロディが呼び起こされる。私の役は物語の初めのナレーションを言う役だった。発表の第一印象が決まる重要な役を担い、「やっぱり私ってイケてるわよネ」と10歳にして思っていた。ここで培った自信とリーダーシップは確実に私の人格の一端である。

 

それ本を読んで人格形成されたエピソードじゃないやん!と突っ込みを入れた方はとりあえずルービックキューブでもやって落ち着いてほしい。ちゃんとこの本で人格形成はされている。

 

 

私は自分でかなり涙もろいほうであるという自覚がある。いつからそうであったかは分からないが、このごんぎつねを読むと何回でも「ごん、お前だったのか。」で泣く。親を失ったごんの境遇に共感し、悪戯を反省し償いをするごんにエモーションがエモエモする。兵十が最後にごんの詫び栗に気づく場面で「HYOJU!お前ってやつはYO!MO!」とやるせなさがいっぱいである。火縄銃の煙が立ち上る場面も良い。取り返しのつかないことをしたんやで兵十さんはよお。

私が感情豊かに涙もろく成長したのは間違いなくごんぎつねのおかげであろう。ちなみに100万回生きた猫を読んでも何回も泣く。

 

 

以上が私の人格形成に影響を及ぼした一冊にごんぎつねを選んだ理由である。

ちなみにこの文章は明らかにフィクションであり、あらすじもWikipediaをリライトしたものであるが気にしてはいけない。

 

 

「ごんぎつね」

新見南吉作